あ、と思った次の瞬間には、地面に両膝をついて倒れ込んでいた。


道端に突然へたりこんだ私を、数人のサラリーマンが迷惑そうな顔で追い超していく。チッ、と小さく聞こえたのは、きっと舌打ちだろう。ごめんなさい、すぐ、いますぐ立ちますから、と頭の中で謝ったものの、知らず知らずのうちに熱の籠もった身体は言うことを聞いてくれなかった。

熱中症。
そんなありふれた言葉が、他人事のように頭に浮かぶ。

普段は空調の効いた部屋でばかり仕事をしている私だ。外回りの代打を請け負ったはいいものの、身体が暑さに慣れていなかったのだろう。朝食をコーヒー一杯で済ませたのも良くなかったかもしれない。


ぽたり、額から落ちた汗の粒が、ざらついたアスファルトに黒いシミをつくる。
頭がいたい。
膝があつい。
あっと言う間に乾いていくそれを見下ろしたままでいると、「大丈夫ですか!?」と頭上から聞き慣れた声が落ちてくる。

のろのろとした動きでなんとか頭を上げると、そこには目がくらむほど眩しい炎が燃えていた。幻覚か、それとも蜃気楼か。何度か瞬きを繰り返すうちに、やっとそれが人の形を成していることに気付く。

「れんごく、くん、」

私が彼を呼ぶのと、彼が私の額に手を伸ばすのはほぼ同時だった。

「――熱い」

額から手を離した彼は、急いで、しかし落ち着いた様子で背負っていたリュックサックを下ろした。一番小さなポケットのファスナーを開けると、“塩分タブレット”と書かれた小さな包みを取り出す。封を開け、なかの丸く白い結晶を私の眼前へ差し出した。

「口をあけてください」

後輩の言葉に、私はなすすべもなく口を開ける。舌に乗せられた小さな塊が、口内でじゅわっ!と弾けるのを感じた。

「ここでは邪魔になってしまうな」

そう言うが早いが、煉獄くんはあっという間に私を姫抱きにする。抗議の声を上げる間もなく、軽々とした足取りで私を近くの日陰へと移動させた。
お姫様抱っこなんて、最後にされたのはいつだっただろうか。気にしている場合ではないのに考えてしまう。

「救急車を呼びましょうか?もし酷く気分が悪いなら、すぐにでも電話しますが」

後輩の言葉に、私は慌てて首を横に振る。確かに体調は悪い。しかし、勤務時間中に救急車のお世話になりたくないという気持ちのほうが強かった。
なにより、日陰に入れてもらえたことで体温はじわじわと下がりつつある。「だいじょうぶ。だからよばないで」と懇願すれば、彼は渋々といった様子でスマートフォンをしまった。

「――、ちょっと待っていてください」

そう言うなり、彼は私が返事をする間もなく姿を消した。と思えば、一分もしないうちに戻ってきて、

「飲んでください」

と表面に水滴の浮いたペットボトルを差し出す。青いラベルの、夏が似合うスポーツドリンク。

「もし本当に熱中症なら、ドラッグストアに売ってる経口補水液なんかがいいんですが」

さすがにそのへんの自販機には売ってなくて。すみません。と頭を下げる後輩に、私は泣きそうになりながら首を振る。謝ることなんか、彼には何一つないのに。なんて、なんて、優しい後輩なんだろう。

彼が開けておいてくれたのだろう、既に蓋のついていない飲み口に、私はゆっくりと口をつける。こくり、こくり、私の喉が上下する様子を、煉獄くんは黙って見つめていた。

容器の半分を飲み終えた頃には、ぼんやりした頭も随分と楽になっていた。「本当にありがとう」と遅い感謝を口にすれば、彼は「とんでもないです」と私が持ったままのボトルに蓋をしてくれる。

さんには、日頃からお世話になっていますから。それにしても、本当に大丈夫ですか?熱中症は怖いですよ」
「本当に大丈夫。煉獄くんのおかげで、随分楽になりました」
「ならいいのですが…」

なおも心配そうな後輩に、私は無理矢理笑顔を作る。情けない所を見られてしまったが、会社では私のほうが先輩なのだ。これ以上の醜態はさらしたくない。

「なにかお礼をしなきゃいけないね。なにがいいかな」

そうは言ったものの、窮地を救って貰ったとも言えるこの状況に見合うお礼となんなのだろう。アイスをおごるとか、ご飯をおごるとか、その程度では済ませない借りを作ってしまった感じがする。

「そんなこと、気にしなくていいですよ」

そう言いつつも、リュックを背負い直している彼もまた、その事について考えているように見えた。答えは出ないまま、二人の間に沈黙が落ちる。


大丈夫なら、そろそろ戻りましょうか。そう差し出された手を支えに立ち上がると、自分の手以上に彼の手が熱くて驚く。思わず顔を上げれば、真夏の太陽のようにぎらついた瞳と視線がかち合った。

どくん、どくん、とどちらのものかわからない鼓動が、腕を伝って全身に響く。日が傾いたのだろう。さっきまでは日陰だった足元が、時間と共に日向に変わっていくのがわかった。

「でも、」

彼がまっすぐに私を見つめながら、ゆっくりと口を開く。

「もしさんがどうしてもと言うのなら、…考えておきますね」

含みのある言い方。また頭がくらくらしだしたのは、きっと気のせいじゃない。