少しかために炊いたご飯に寿司酢を合わせ、甘く煮た椎茸や人参、蓮根と混ぜ合わせる。ご飯が冷めた所を見計らって錦糸卵を広げ、上に刺身とさやえんどうを散らした。
早積みの菜の花は軽く茹で、とろりと白い酢味噌と軽くあえる。熱い汁物を椀にとり、最後にそっと三葉を浮かべると、湯気と共に春の青い香りが厨をふわりと包んだ。
食卓に箸と料理を並べながら「ご飯ですよー」と廊下に向かって声をかける。すると、奥の書斎から「すぐに行く!」と煉獄さんの元気な返事が返ってきた。
食事の前にきちんと手を洗ってきてくれたのだろう。手ぬぐい片手に襖を開けた煉獄さんが「おぉ!」と声をあげる。
「今日はいつにも増してご馳走だな!」
「はい。雛祭りなのでちらし寿司にしてみました」
「雛祭りか!そう言えば今日は3月3日だったな」
いただきます!と両手を合わせ、煉獄さんが嬉しそうに箸をとる。早速お吸い物に口をつけると、でっぱった喉仏がこくん、と上下した。ふぅ...と満足気に息を吐き出し、笑みを零す。
「うまい!、とても美味しいぞ!」
煉獄さんの言葉に、こちらも思わず笑顔になる。この人の「うまい!」が私の一番の原動力だ。
「うちは男ばかりの家系だから、雛祭りには縁がなくてな。「もう一人女の子が欲しかった」と母上がよく言っていたものだ」
「そうだったんですか」
「あぁ」
菜の花の酢味噌和えを口に含めば、ほろ苦い春の味が口内に広がる。煉獄さんのお母様の話を聞いたのは、「俺に毎日味噌汁を作ってくれないか」と言われたあの日以来だ。
「当時父上は鬼を斬るのに忙しかったし、俺は剣術の稽古ばかりしていた。千寿郎はまだ物心もついていなかったから、余計にそう思ったのだろうな」
話し相手もおらず、寂しかっただろうに。煉獄さんが箸を止め、ぽつりと呟く。
煉獄さんのお母様、瑠火さんは、心の強さとは対照的に大層身体が弱かったらしい。晩年はその殆どを床に伏せって過ごし、あっという間に黄泉の国へと旅立ってしまったそうだ。煉獄さんに強い者の責務を説いたのも布団の上だったと言う。
「...煉獄さんのお母様、お会いしたかったです」
「...そうだな。母上もきっと喜んでくれただろう」
私の言葉に煉獄さんが微笑む。その笑顔が泣きそうなほど切なくて、なんだかこちらまで胸が締め付けられた。煉獄さんにとって家族の話はまだまだ繊細で、そう易々とは語れない問題なのだ。
しんみりとした空気を嫌ったのだろう。煉獄さんが明るい声で「そう言えば!」と切り出す。
「この汁物に入っている貝はいつものより大きいな!歯ごたえもあって味が濃い!」
「はまぐりですよ。雛祭りの時は蛤のお吸い物を飲むんです」
「む!なにか言い伝えでもあるのか?」
煉獄さんの言葉に、私は自分の椀から蛤の殻をつまみ上げる。ちょっといいですか?と煉獄さんの手ぬぐいを借りると、軽く汁気を拭い、ぱきんと左右二つに割った。煉獄さんの貝殻も同じようにして割る。
「こんなふうに二つに割った時、蛤は対になる貝でないと綺麗にはまらないんです」
ほら、と貝を差し出せば、煉獄さんが不思議そうに貝殻を受け取る。別々の貝を組み合わせると隙間ができてしまい、カチカチとなかなか安定しなかった。
「ね。綺麗にはまらないでしょう?」
「確かに!だが、それがどうして雛祭りと関係があるのだ?」
「他の貝とは合わさらない。つまり、結婚するまで操を守り、たった一人のお相手と一生幸せに過ごせますように、と願いを込めているんだそうです」
「ほぉ〜...」
カチ、と小さな音を立てて、二つの貝殻がぴたりと重なり合う。煉獄さんは感心したように腕を組んだ。
「よもや!蛤にそんな謂れがあるとはな!昔の人は色んな事を考えるものだ!」
「本当ですね」
「俺達も蛤のような夫婦になりたいものだな!」
煉獄さんの言葉に、思わず笑いが漏れる。言いたいことはわかるが、“蛤夫婦”よりは“おしどり夫婦”でありたいと思った。
蛤夫婦だと炎柱ならぬ貝柱みたいで、ちょっと美味しそうだ。
「ごめんくださ〜い!」
食後のお茶を入れようと立ち上がった所で、玄関から華やいだ声が聞こえた。「俺も出よう」煉獄さんも立ち上がり二人で玄関に向かうと、そこには花が咲いたように笑う甘露寺さんと、仏頂面の伊黒さんが立っている。
甘露寺さんは桜色の小紋、伊黒さんは紺色のシャツにスラックスという姿だ。もしかしたら二人で何処かに出かけた帰りなのかもしれない。
「お夕飯時にごめんなさい!ちゃんと師範にどうしてもお渡ししたいものがあって...!」
顔を赤らめた甘露寺さんが、手の平大の包みを差し出す。《きめつ庵》と書かれた包みを受け取って開くと、可愛らしい桜餅が四つ、ちんまりと並んでいた。
「わぁ、美味しそうな桜餅!」
思わず声をあげれば、甘露寺さんが興奮して言う。
「それ、新しく出来た和菓子屋さんの大人気商品なの!今日伊黒さんと一緒に食べてきたんだけど、本っっっっっっ当に美味しくて!!私が「ちゃんにも食べさせてあげたい〜」って言ったら伊黒さんが買ってくれたのよ!!!」
「伊黒さんが...?」
甘露寺さんの言葉に、思わず伊黒さんを見つめる。長い前髪の下、左右で色の違う大きな瞳が忌々しそうにこちらを見ていた。
「...甘露寺が「新しい友達が出来た」と言うから、煉獄の見舞いついでに寄っただけだ」
「そうだったのか!わざわざすまないな!」
「ありがとうございます伊黒さん。甘露寺さんも」
私が笑顔で頭を下げれば、「勘違いするな」と伊黒さんの鋭い言葉が飛んでくる。ずい、と男性にしては白い指が私の事を牽制した。
「俺はまだお前の事を何一つ信用していない。俺が信用しているのは此処にいる甘露寺、そして煉獄だ」
「...っ、」
「柱でもなく、殆ど任務にも出ていないお前を二人が大切にしているから、今回だけ特別に俺もそれに習った。それだけの事だ」
「相変わらず手厳しいな、伊黒!」
私を庇うように、煉獄さんが一歩前に出る。伊黒さんの指がぴくりと動き、首に巻き付いていた白蛇ー...鏑丸がゆらりと首を持ち上げた。
赤い舌をチロチロと出し入れしながら、威嚇するようにシュー...と唸る。ただし、そんな事で怯む煉獄さんではない。
「しかし、俺の大切な人をそんなふうに言うのはやめてもらおうか!鬼を斬らずとも、は立派に鬼殺隊を支えている!皆が手を取り合ってこそ鬼殺隊は真に団結し、鬼舞辻無惨を倒すことが出来ると俺は考えている!」
「そ、そうよ伊黒さん!師範の言う通りよ!」
甘露寺さんの加勢に、伊黒さんは「うっ...」と言葉に詰まる。八の字の眉に思い切り皺を寄せ、渋々という表情で指を下げた。煉獄さんも甘露寺さんも柱の中では元気な方だから、この二人に圧されると黙るしかないのだろう。鏑丸も心無しかしゅんとして見える。
「新参者を信用出来ないのは当たり前ですから...。伊黒さんにも認めていただけるよう、私も頑張りますね」
私の言葉に、伊黒さんは居心地悪そうに目を逸らす。甘露寺さんがあわあわと手を振って代わりに釈明した。
「誤解しないでねちゃん!伊黒さんはああ言ったけど、さっきまではちゃんの事すっごく褒めてたのよ!」
「え、そうなんですか ?」
「うん!そうなの!」
「おい、甘露寺...」
伊黒さんは制止するが、甘露寺さんは止まらない。
「和菓子屋さんで桜餅を買ってくれた時も「煉獄が元気になったのはのおかげだ」って。「感謝してる」って。本当は認めてるのよ!素直じゃないだけなの!!ちょっとネチネチしてるだけで...!!」
「か、甘露寺、余計な事を言うな...」
今度は伊黒さんがあわあわと手を振り、甘露寺さんの言葉を遮る。陰と陽のような二人だが、こうして並んでいると微笑ましいものがあった。
煉獄さんも同じように思ったのだろう。笑いながら家の中を指し示す。
「二人とも上がっていかないか?丁度茶を飲もうと思っていた所でな!春とはいえ、夜はまだまだ冷えるだろう!」
「いいですね。桜餅もちょうど四つ頂いたし、おもたせですけどいかがですか?」
私達の言葉に甘露寺さんは顔を赤らめながらも、ぶんぶんと首を横に振る。
「いいの!この後しのぶちゃん達の所にも桜餅を届けに行くから!それは師範とちゃんで食べてください!!」
「...もう行こう甘露寺、帰りが遅くなる」
一刻も早くこの場を去りたいのだろう。顔を赤くした伊黒さんは甘露寺さんの肩に手を添え、そそくさと玄関を出ようとする。甘露寺さんも今度は素直に従い、肩越しにこちらに手を振った。
「じゃあ、ちゃんまたね!師範もどうかお大事に」
「あぁ、ありがとう!二人とも気をつけてな!」
甘露寺さんの言葉に、私たちも手を振って見送る。門を出た所でそっと手をつなぐ二人に、心がぽかぽかとあたたかくなった。
▽
もちもちとした関西風の桜餅は、餡の甘さと葉の塩加減が絶妙だった。熱いお茶ともよく合い、身体の中にも春が来たようだ。
「ん〜!美味しい!」
「そう言えば、甘露寺の好物は桜餅だった!一緒に食べに行くとは伊黒もなかなかやるな!」
「仲が良くて素敵ですよね。任務で会えない時は文通をしているそうですよ」
「文通...、おぉ、それで思い出した!」
煉獄さんが湯呑みを置き、懐から一通の手紙を取り出す。「兄上へ」と書かれた手紙を受け取ると、裏には「千寿郎より」と書いてあった。一生懸命書いたのだろう。可愛らしい字で何枚も綴られた手紙に、思わず笑みが零れる。
「出来の悪い兄を心配して、時々手紙をくれるのだ」
「千寿郎くん、優しいですね」
「あぁ、自慢の弟だ!...それで一つ提案なのだが」
煉獄さんの大きな手が私の手を取り、きゅっと包み込む。琥珀色の瞳に真正面から見つめられ、どきんと心臓が高鳴った。
「、君を家族に紹介したい。千寿郎と父上、そして母上にも」
勿論、君さえ良ければの話だが。煉獄さんの言葉に、思わず熱いものが込み上げる。
「千寿郎に何度も急かされていてな。「傷が治ったら是非、さんを連れてきて欲しい」と」
「...とっても、嬉しいです」
「本当か!?」
「はい、...でも、私なんかで良いんでしょうか」
「何故、そんなふうに思う?」
「だって...」
煉獄さんの言葉に、私は口を噤む。
煉獄家といえば代々炎柱を務め、鬼殺隊隊員を多く輩出してきた、いわゆる名門である。そんな立派なご家族に、私のような身寄りのない女を紹介していいのだろうか。あまり考えたくない事だが、本来なら然るべきお家からもっときちんとした女性を迎えるべきだろう。
迷いながらぽつぽつと話せば、煉獄さんがふっと笑う。一点の曇りもないその瞳を、私はただただ見つめた。
「そんな事、何も気にする必要は無い」
「でも...」
「こっちにおいで」
胡座をかいた煉獄さんが、私に向かって大きく腕を広げる。おずおずと足の間に腰をおろせば、そのまますっぽりと包まれてしまった。私の肩に顔を乗せ、煉獄さんが言う。
「君に身寄りがないのは君のせいじゃないし、誰がなんと言おうとは俺の大切な人だ」
「煉獄さん...」
「伊黒や甘露寺も言っていただろう。俺がここまで元気になれたのは他でもないのおかげだ。誰にでも出来る事ではない。どうか自信を持ってくれ」
「...ありがとうございます。ちょっと元気が出てきました」
私が笑えば、煉獄さんもにっこりと目を細める。
「なに、それでも君を悪く言う者がいたら、俺が骨も残さず焼き尽くすまでだ!」
「いや、それはちょっと...」
私の言葉に煉獄さんが「冗談だ!」と笑う。とても冗談には聞こえなかったが、力強く抱きしめられるとそれ以上咎める気もなくなった。
「...一緒に来てくれるか?」
「はい、私でよろしければ」
「でなければ駄目だ」
ちゅ、と額に口付けを落とされ、目を瞑ると今度は唇が合わさる。隙間なくぴたりと寄り添った二人の姿は、水底に沈む貝に似ていた。